なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、髭さえ碌にない日本人を一人、助けてやった事がございます。
何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩から、唐人を一人殺したために、追手がかかったとか申して居りました。
して見ればそれが今日では、あの阿媽港甚内と云う、名代の盗人になったのでございましょう。
なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、髭さえ碌にない日本人を一人、助けてやった事がございます。
何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩から、唐人を一人殺したために、追手がかかったとか申して居りました。
して見ればそれが今日では、あの阿媽港甚内と云う、名代の盗人になったのでございましょう。