僕等はこう言う掛茶屋にはいり、中野君は玫瑰露の杯を嘗め、僕は支那茶を啜りつつ、二時間ばかり坐っていたり。
何がそんなに面白かりしと言えば、別に何事もあった訣にはあらず、只人を見るのが面白かりしだけなり。
蓮花は未だ開かざれど、岸をめぐれる槐柳のかげや前後の掛茶屋にいる人を見れば、水煙管を啣えたる老爺あり、双孖髻に結える少女あり、兵卒と話している道士あり、杏売りを値切っている婆さんあり、人丹(仁丹にあらず)売りあり、巡査あり、背広を着た年少の紳士あり、満洲旗人の細君あり、――と数え上げれば際限なけれど、兎に角支那の浮世絵の中にいる心ちありと思うべし。