死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑のあるお上みさんと、兵隊に行っている息子とが残っている。
暮しは裕だと云うほどではないが、雇人の二三人も使って、どうにか人並にはやっているらしい。
人の噂では、日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青を買占めにかかったのが、当ったので、それまでは老鋪と云うだけで、お得意の数も指を折るほどしか無かったのだと云う。
死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑のあるお上みさんと、兵隊に行っている息子とが残っている。
暮しは裕だと云うほどではないが、雇人の二三人も使って、どうにか人並にはやっているらしい。
人の噂では、日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青を買占めにかかったのが、当ったので、それまでは老鋪と云うだけで、お得意の数も指を折るほどしか無かったのだと云う。