霜のお台所へ下がり候後、秀林院様は又また「まりや」様の画像の前に「のす、のす」をお唱へ遊ばされ、梅と申す新参の女房、思はず笑ひ出し候へば、以ての外のことなりとさんざん御折檻を蒙り候。
八、少斎石見の両人は秀林院様の御意を伺ひ、いづれも当惑仕り候へども、やがて霜に申され候は、治部少かたより右の次第を申し来り候とも、与一郎様与五郎様(忠興の子、興秋)のお二かたは東へお立ちなされたり、内記様(同上、忠利)も亦唯今は江戸人質に御座候間、人質に出で候はん人、当お屋敷には一人も無之候へば、所詮は出し申すことなるまじくと返答仕るべし、なほ又是非ともと申し候はば、田辺の城(舞鶴)へ申し遣はし、幽斎様(忠興の父、藤孝)より御指図を仰ぎ候まま、それ迄待ち候へと挨拶仕るべし、この儀は如何候べきと申され候。
秀林院様の仰せには分別致し候やうにと申し渡され候へども、少斎石見両人の言葉に毛すぢほどの分別も有之候や。