木曾と云ふ所は究竟の城廓なり、長山遙に連りて禽獣稀にして嶮岨屈曲也、渓谷は大河漲り下つて人跡亦幽なり、谷深く桟危くしては足を峙てて歩み、峰高く巌稠しては眼を載せて行く、尾を越え尾に向つて心を摧き、谷を出で谷に入つて思を費す、東は信濃、上野、武蔵、相摸に通つて奥広く、南は美濃国に境道一にして口狭し、行程三日の深山也。
縦、数千万騎を以ても攻落すべき様もなし、況や、桟梯引落して楯籠らば、馬も人も通ふべき所にあらずと。
是、東海の蜀道にあらずや。
木曾と云ふ所は究竟の城廓なり、長山遙に連りて禽獣稀にして嶮岨屈曲也、渓谷は大河漲り下つて人跡亦幽なり、谷深く桟危くしては足を峙てて歩み、峰高く巌稠しては眼を載せて行く、尾を越え尾に向つて心を摧き、谷を出で谷に入つて思を費す、東は信濃、上野、武蔵、相摸に通つて奥広く、南は美濃国に境道一にして口狭し、行程三日の深山也。
縦、数千万騎を以ても攻落すべき様もなし、況や、桟梯引落して楯籠らば、馬も人も通ふべき所にあらずと。
是、東海の蜀道にあらずや。