かくして、寿永二年七月、赤幟、洛陽を指して、敗残の平軍、悉く都に帰ると共に、義仲は北陸道より近江に入り、行家は東山道より大和に入り、革命軍の白旗、雪の如く、近畿の山河に満てり。
此時に於て、平氏と義仲との間に横はれる勝敗の決は、一に延暦寺が源平の何れに力を寄すべき乎に存したりき。
若し、幾千の山法師にして、平氏と合して、楯を源軍につきしとせむ乎、或は革命軍の旗、洛陽に飜るの時なかりしやも、亦知るべからず。
かくして、寿永二年七月、赤幟、洛陽を指して、敗残の平軍、悉く都に帰ると共に、義仲は北陸道より近江に入り、行家は東山道より大和に入り、革命軍の白旗、雪の如く、近畿の山河に満てり。
此時に於て、平氏と義仲との間に横はれる勝敗の決は、一に延暦寺が源平の何れに力を寄すべき乎に存したりき。
若し、幾千の山法師にして、平氏と合して、楯を源軍につきしとせむ乎、或は革命軍の旗、洛陽に飜るの時なかりしやも、亦知るべからず。