而して、法皇をして義仲追討の挙に出でしめたるは、軽佻、浮薄、無謀の愚人、嘗て義仲の為に愚弄せられたるを含める斗筲の豎児、平判官知康なりき。
事を用ふるを好み給へる、法皇は、知康の暴挙に賛し、竊に、南都北嶺の僧兵及乞食法師辻冠者等をして、義仲追討の暴挙に与らしめ給へり。
而して十一月十八日仁和寺法親王、延暦寺座主明雲、亦武士を率ゐて法住寺殿に至り、遂に義仲に対するクーデターは行はれたり。
而して、法皇をして義仲追討の挙に出でしめたるは、軽佻、浮薄、無謀の愚人、嘗て義仲の為に愚弄せられたるを含める斗筲の豎児、平判官知康なりき。
事を用ふるを好み給へる、法皇は、知康の暴挙に賛し、竊に、南都北嶺の僧兵及乞食法師辻冠者等をして、義仲追討の暴挙に与らしめ給へり。
而して十一月十八日仁和寺法親王、延暦寺座主明雲、亦武士を率ゐて法住寺殿に至り、遂に義仲に対するクーデターは行はれたり。