最初の内は、それでも芸術というものに多少の興味もあり、丁度古来のユートピヤ作者達がした様にお話の形で彼の夢想を発表することにも少なからぬ慰めを見出すことが出来ましたので、いくらか熱心にそうした仕事を続けていたのですが、ところが、彼の書くものは、飜訳は別として、創作の方は妙に雑誌社の気受けが悪いのでした。
それというのが彼のは、彼自身の例の無可有郷を、色々な形式で、微に入り細を穿ち描写するに過ぎない、謂わば一人よがりの退屈極まる代物だったものですから、それは無理もないことと云わねばなりません。
そんな訳で、折角気を入れて書き上げた創作などが、雑誌編輯者に握りつぶされたことも一二度ではなく、そこへ持って来て、彼の性質が、ただ文字の遊戯などで満足するには、余りに貪婪であったものですから、小説の方では一向うだつが上らないのです。