例えば、妊婦が早過ぎた埋葬に遇って、墓場の中で生き返り、生き返ったばかりか、その暗闇の中で分娩して、泣きわめく嬰児を抱いて悶え死んだ話などは、(恐らく彼女は、出ぬ乳を、血まみれの嬰児の口に含ませていたことでもありましょう)まるで焼きつけた様な印象となって、いつまでもいつまでも彼の記憶に残っていました。
併し、癲癇がやはりそうした危険を伴う病気だことを、彼はどうして、そんなにハッキリと覚えていたか、人見廣介自身では、少しも気づかなかったのですが、人間の心の恐しさには、彼はそれらの書物を読んだ時に、彼と生写しの、双生児の片割とまで云われていた菰田が、大金持の菰田が、やはり癲癇病みであることを、無意識の中に意識していなかったとは云えないのです。
先に云う通り生れつきの夢想家である人見廣介が、クネクネと考え廻すたちの彼が、仮令ハッキリ意識しなかったとは云え、そこへ気のつかぬ筈はないのです。