この異様なる海底旅行によって、千代子の心は、人間界の常套を逃れ、いつしか果知らぬ無幻の境をさまよい始めていました。
T市のことも、そこにある菰田家の邸のことも、彼女の里方の人達のことも、皆遠い昔の夢の様で、親子も夫婦も主従も、その様な人間界の関係などは、霞の様に意識の外にぼやけて了って、そこには、魂に喰い入る人外境の蠱惑と、それが真実の夫であろうがあるまいが、ただ目の前にいる一人の異性に対する、身も心も痺れる様な思慕の情のみが、闇夜の空の花火の鮮かさで、彼女の心を占めていたのです。
「さあ、これから少し暗い道を通るのだよ。