水には一片の塵芥も浮ばず、断崖には一茎の雑草すら生立ってはいないで、岩はまるで煉羊羹を切った様に滑かな闇色に打続き、その暗さが水に映じて、水も又漆の様に黒いのです。
従って、先程眼界が開けたといったのも、決して普通の様に明るくパッと開けたのではなくて、谷の奥行は霞む程も広く、絶壁は見上る様に高いのですけれど、それが一体に妖婦の眼隈の様に艶かしくも黒ずんで、明るい所と云っては、絶壁と絶壁との庇間の細く区切られた空、それも平地で見る様な明るいものではなく、昼間も夕暮時の様に鼠色で、そこに星さえまたたいているのです。
更らに、もっと変っているのは、この谿谷は、谷というよりは、寧ろ非常に深い、細長い池と唱えた方がふさわしく、両方の端が行詰りになっていて、一方は、今二人が出て来た海底からの通路の所、他の一方は、その反対の側の遙かに霞んで見える、異様なる階段に尽きているのです。