講義は毎週三時間にて、明治三十六年九月に始まつて三十八年六月にわたり、前後二学年にして終る。
講義の当時は余が予期せるほどの刺激を学生諸子に与へざりしに似たり。
第三学年にもこの講義の稿を続くべかりしを種々の事情に遮ぎられて果さず、已に講述せる部分の意に満たぬ所、足らざる所を書き直さんとしてまた果さず、約二年の間そのままにて筐底に横はりしを、書肆の乞に応じて公けにする事となれり。
講義は毎週三時間にて、明治三十六年九月に始まつて三十八年六月にわたり、前後二学年にして終る。
講義の当時は余が予期せるほどの刺激を学生諸子に与へざりしに似たり。
第三学年にもこの講義の稿を続くべかりしを種々の事情に遮ぎられて果さず、已に講述せる部分の意に満たぬ所、足らざる所を書き直さんとしてまた果さず、約二年の間そのままにて筐底に横はりしを、書肆の乞に応じて公けにする事となれり。