いやしくも二者の許諾を得ざるものは、どこまでも一家の批判に過ぎない。
それが当然である。
しかるに一家の批判を以て任ずべき文芸家もしくは文学家が、国家を代表する政府の威信の下に、突如として国家を代表する文芸家と化するの結果として、天下をして彼らの批判こそ最終最上の権威あるものとの誤解を抱かしむるのは、その起因する所が文芸その物と何らの交渉なき政府の威力に本づくだけに、猶更の悪影響を一般社会――ことに文芸に志ざす青年――に与うるものである。
いやしくも二者の許諾を得ざるものは、どこまでも一家の批判に過ぎない。
それが当然である。
しかるに一家の批判を以て任ずべき文芸家もしくは文学家が、国家を代表する政府の威信の下に、突如として国家を代表する文芸家と化するの結果として、天下をして彼らの批判こそ最終最上の権威あるものとの誤解を抱かしむるのは、その起因する所が文芸その物と何らの交渉なき政府の威力に本づくだけに、猶更の悪影響を一般社会――ことに文芸に志ざす青年――に与うるものである。