すると通俗の考えを離れて物我の世界を見たところでは、物が自分から独立して現存していると云う事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。
換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。
物我の二字を用いるのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致などと云う言語も必要ではないのであります。
すると通俗の考えを離れて物我の世界を見たところでは、物が自分から独立して現存していると云う事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。
換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。
物我の二字を用いるのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致などと云う言語も必要ではないのであります。