(い)我の作用を知情意に区別することは前に述べた通りで、この知の働きを主にして物の関係を明かにするものは哲学者もしくは科学者だと申しました。
なるほど関係を明かにすると云う点より見れば哲学科学の領分に相違ないが、関係を明かにするために一種の情が起るならば、情が起ると云う点において、知の働きであるにもかかわらず文芸的作用と云わねばならんかと思います。
ところが知を働かして情の満足を得るためには前に説明した通り感覚的なものを離れて、単に物の関係のみを抽象してあらわしてはならんのであります。
(い)我の作用を知情意に区別することは前に述べた通りで、この知の働きを主にして物の関係を明かにするものは哲学者もしくは科学者だと申しました。
なるほど関係を明かにすると云う点より見れば哲学科学の領分に相違ないが、関係を明かにするために一種の情が起るならば、情が起ると云う点において、知の働きであるにもかかわらず文芸的作用と云わねばならんかと思います。
ところが知を働かして情の満足を得るためには前に説明した通り感覚的なものを離れて、単に物の関係のみを抽象してあらわしてはならんのであります。