次に我々は同じく感覚物を通じて情を働かせるときにまた一種の情を得ねばならぬ訳であります。
この両の情はたとえその内容において彼此相一致するとしても、これを同体同物としては議論の上において混雑を生ずる訳であります。
例えばある感覚物を通じて怒と云う情をあらわすとすれば、この作物より得る吾人の情もまた同性質の怒かも知れぬけれども(時には異性質の情を起す事あるはもちろんである)両者同物ではない。
次に我々は同じく感覚物を通じて情を働かせるときにまた一種の情を得ねばならぬ訳であります。
この両の情はたとえその内容において彼此相一致するとしても、これを同体同物としては議論の上において混雑を生ずる訳であります。
例えばある感覚物を通じて怒と云う情をあらわすとすれば、この作物より得る吾人の情もまた同性質の怒かも知れぬけれども(時には異性質の情を起す事あるはもちろんである)両者同物ではない。