だから混同を防ぐためにこの二つを区別しておいて歩を進めます。
しかしその論法は大体において(い)の場合、すなわち吾人は知の働きを愛して、これに一種の情を付与すと云う条りに説明したものと変りはありません。
吾人の心裏に往来する喜怒哀楽は、それ自身において、吾人の意識の大部分を構成するのみならず、その発現を客観的にして、これをいわゆる物(多くの場合においては人間であります)において認めた時にもまた大に吾人の情を刺激するものであります。
だから混同を防ぐためにこの二つを区別しておいて歩を進めます。
しかしその論法は大体において(い)の場合、すなわち吾人は知の働きを愛して、これに一種の情を付与すと云う条りに説明したものと変りはありません。
吾人の心裏に往来する喜怒哀楽は、それ自身において、吾人の意識の大部分を構成するのみならず、その発現を客観的にして、これをいわゆる物(多くの場合においては人間であります)において認めた時にもまた大に吾人の情を刺激するものであります。