ところがこの物我の境を超越すると云う事は、この講演の出立地であって、またあらゆる思索の根拠本源になります。
したがって文芸の作物に対して、我を忘れ彼を忘れ、無意識に(反省的でなくと云う意なり)享楽を擅にする間は、時間も空間もなく、ただ意識の連続があるのみであります。
もっともここに時間も空間もないと云うのは作物中にないと云うのではない、自己が作物に対する時間、また自己が占めている空間がないという意味であって、読んで何時間かかるか、また読んでいる場所は書斎の裡か郊外か蓐中かを忘れると云うのと同じ事であります。