探偵小説ではないけれど、ポーの「スフィンクス」では一匹の死頭蛾が山を駈けおりる大怪物に感じられる錯覚のスリルが主題となっているし、また「陥穽と振子」では暗黒の地下室に投げ込まれた人物が、壁に手をあてて室内をさぐり歩いているうちに、実は四角な部屋であるのが、無数の角を持った無限に広い場所のように感じられるという闇中錯覚のスリルを取り扱っている。
また意識の盲点の恐ろしさが内外の短篇探偵小説にいかにしばしばもちいられているかはここに説明するまでもないであろう。
近代英米長篇探偵小説の八割までが、なんらかの形で一人二役のトリックを取り入れているのは、おかしいほどであるが、これは作者たちに智恵がないことを証するよりも、一人二役型の恐怖がいかに深い魅力を持っているかを証するものと見るべきである。