上田敏博士が訳していられたと思うが、私は二十年ほど前、ストランド誌の英訳ではじめて読んで、いまでも忘れられないほどの印象を受ける。
筋は、痴情の復讐から、ある女とその愛人を殺したうえ、しかも処罰をまぬがれるために、狂人をよそおい、さて目的をはたして、精神病院に入れられてから、自分はにせの狂人のつもりでいるがしかしそれはとんでもない思い違いで、ほとうに発狂しているのではないかという恐ろしい疑惑に責められる心理をえがいたものである。
そのハッと錯誤に気づく瞬間に、一つの大きなスリルが感じられるのはもちろんだが、私の忘れられないのは、それよりも殺人の動機となる一つの場面である。