文通を重ねて行く内に、私は非常にびくびくしながら、私の手紙に、それとなく、ある意味を含ませていたことをいなめないのだが、気のせいか、静子の手紙にも、通り一ぺんの交際以上に、誠につつましやかではあったが、何かしら暖い心持がこめられて来る様になった。
打開けて云うと、恥しいことだけれど、私は、静子の夫の小山田六郎氏が、年も静子よりは余程とっていた上に、その年よりも老けて見える方で、頭などもすっかりはげ上っている様な人だという事を、苦心をして探り出していたのだった。
それが、今年の二月頃になって、静子の手紙に妙な所が見え始めた。