ですから、若し六郎氏が手紙や屋根裏の蔭に隠れて静子を怖がらせることから、一歩を進め、彼自身大江春泥に化け、静子がそこにいるのを見すまして、洋館の窓の外からチラリと顔を見せて、ある不思議な快感を味おうと企らんだならば、彼は何よりも先ず、彼の第一の目印である禿頭を隠す必要に迫られたに相違ありませんが、丁度それには持って来いの鬘があったのです。
鬘さえ冠れば、顔などは、暗いガラスの外ではあり、チラッと見せる丈けでよいのですから(そして、その方が一層効果的なのです)恐怖に戦いている静子に見破られる心配はありません。
あの夜(三月十九日)六郎氏は小梅の碁友達の所から帰り、まだ門が開いていたので、召使達に知れぬ様、ソッと庭を廻って洋館の階下の書斎に入り(これは静子から聞いたのですが、彼はそこの鍵を例の本棚の鍵と一緒に鎖に下げて持っていたのです)其時はもう階上の寝室に入っていた静子に悟られぬ様、闇の中で例の鬘を冠り、外に出て、立木を伝って洋館の軒蛇腹に上り、寝室の窓の外へ廻って行って、そこのブラインドの隙間から、ソッと中を覗いたのであります。