かようにして、六郎氏は自業自得、彼のあくどい病癖の為に、軒蛇腹から足を踏みはずし、塀にぶっつかって、致命傷を受け、その上隅田川に墜落し、流れと共に吾妻橋汽船発着所の便所の下へ漂いつき、とんだ死に恥をさらした訳であります。
以上で本件に関する私の新解釈を大体陳述しました。
一二申残したことを附加えますと、六郎氏の死体がどうして裸体にされていたかという疑問については、吾妻橋界隈は浮浪者、乞食、前科者の巣窟であって、溺死体が高価な衣類を着用していたなら(六郎氏はあの夜大島の袷に鹽瀬の羽織を重ね、白金の懐中時計を所持して居りました)深夜人なきを見て、それをはぎ取る位の無謀者は、ごろごろしていると申せば充分でありましょう。