(註、この私の想像は、後に事実となって現れ、一人の浮浪人があげられたのだ)それから、静子が寝室にいて、何故六郎氏の墜落した物音を気づかなんだかという点は、その時彼女が極度の恐怖に、気も顛動していたこと、コンクリート作りの洋館のガラス窓が密閉されていたこと、窓から水面までの距離が非常に遠いこと、又仮令水音が聞えたとしても、隅田川は時々徹夜の泥舟などが通るので、その水棹の音と混同されたかも知れないこと、などを御一考願い度いと存じます。
尚お、注意すべきは、この事件が毫も犯罪的の意味を含まず、不幸変死事件を誘発したとは云え、全く悪戯の範囲を出でなかったという点であります。
若しそうでなかったならば、六郎氏が証拠品の手袋を運転手に与えたり、本名を告げて鬘を注文したり、錠前つきとは申せ自宅の本棚に大切な証拠物を入れて置いたりした、馬鹿馬鹿しい不注意を何と説明のしようもないからであります。