あの時私に、なぜもっと勇気がなかったかと、それも無論残念に思わぬではありませんが、何をいうにも年数のたったことではあり、こちらの年が年ですから、そんな現実的な事柄よりは、単に何となく嬉しくて、又悲しくて、家内の目を盗んでは、形見の懐中鏡と写真とを、眺め暮し、夢の様に淡い思出に耽るばかりでした。
併し、人間の心持は、何と妙なものではありませんか。
そんな風に、私の思いは決して現実的なものではなかったのに、ヒステリィ患者とは云いながら、これまでさして厭にも思わなかった家内のお園が、際立っていとわしくなり、すみ子が睡っている三重県の田舎町が、そこへ一度も行ったことがない丈に、不思議にもなつかしく思えるのですね。