そんな風に、私の思いは決して現実的なものではなかったのに、ヒステリィ患者とは云いながら、これまでさして厭にも思わなかった家内のお園が、際立っていとわしくなり、すみ子が睡っている三重県の田舎町が、そこへ一度も行ったことがない丈に、不思議にもなつかしく思えるのですね。
そして、しまいには、巡礼の様なつつましやかな旅をして、すみ子のお墓参りがして見たいとまで願う様になったものです。
こんな風の云い方をしますと、今になっては身体がねじれる程いやみな気がしますけれど、当時は、子供の様な純粋な心持で、本当にそれまで思いつめたものなんです。