この養子が来る時分には、もう寄席もやめて、しもうた屋になっていたようであるが、私はそこの宅の軒先にまだ薄暗い看板が淋しそうに懸っていた頃、よく母から小遣を貰ってそこへ講釈を聞きに出かけたものである。
講釈師の名前はたしか、南麟とかいった。
不思議な事に、この寄席へは南麟よりほかに誰も出なかったようである。
この養子が来る時分には、もう寄席もやめて、しもうた屋になっていたようであるが、私はそこの宅の軒先にまだ薄暗い看板が淋しそうに懸っていた頃、よく母から小遣を貰ってそこへ講釈を聞きに出かけたものである。
講釈師の名前はたしか、南麟とかいった。
不思議な事に、この寄席へは南麟よりほかに誰も出なかったようである。