敵大型爆撃機は大陸奥地の大飛行場三ヶ所から合計五十余機がいわゆる波状攻撃の態勢をとり、つぎつぎと東京爆撃に向かったのであるが、その一部は既にして大陸上空において味方戦闘機の発見するところとなり、機を失せぬ攻撃により内七機を撃墜、撃破したのを手はじめに、日本海本土周辺において九機、本土上空に侵入したる後六機、東京周辺において三機を撃墜し、あるいは不時着せしめ、敵機が東京上空に達した時には早くもその過半数を失っていたのである。
しかし残るところ二十数機とはいえ、名にし負う「超空の要塞」である。
長距離攻撃のため投下弾積載量ははなはだしく制限されてはいたが、しかもなお各機優に一噸余の爆弾、焼夷弾を抱いていたのである。