新太郎は二三の製氷会社を転々して、最後に東京下谷区の東洋製氷会社工場に勤め、根岸に住居した。
明治四十二年、新太郎はそこで病死し、妻のお花と娘の幸子が取残されたのです。
新太郎は本来ブウリー新太郎とでも名乗るべきですが、ブウリーは新太郎の少年の頃日本に帰化し、姓も大川と改めておったので、新太郎の娘の幸子は、即ち大川幸子なのです」
新太郎は二三の製氷会社を転々して、最後に東京下谷区の東洋製氷会社工場に勤め、根岸に住居した。
明治四十二年、新太郎はそこで病死し、妻のお花と娘の幸子が取残されたのです。
新太郎は本来ブウリー新太郎とでも名乗るべきですが、ブウリーは新太郎の少年の頃日本に帰化し、姓も大川と改めておったので、新太郎の娘の幸子は、即ち大川幸子なのです」