当時私は二十五歳の青年で、丸の内のあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。
実際は、僅ばかりの月給なぞ殆ど私自身のお小遣いになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。
当時私は二十五歳の青年で、丸の内のあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。
実際は、僅ばかりの月給なぞ殆ど私自身のお小遣いになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。