実際は、僅ばかりの月給なぞ殆ど私自身のお小遣いになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。
受持ちの仕事は会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤玉をはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一ぱし芸術が分る積りでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外の店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。