その翌日、忘れもせぬ大正十四年七月二十九日、私達は旅支度も軽やかに、南海の一孤島を目ざして、いとも不思議な鹿島立ちをやったのである。
諸戸はただ旅をすると云い残して、留守は書生と婆やに預け、私は神経衰弱を治す為に、友達の帰省に同行して、田舎へ行くとの理由で、会社を休み、家族の同意をも得た。
丁度七月の末で、暑中休暇に間もなかったので、家族も会社の人達も、別段私の申出を怪しみはしなかった。
その翌日、忘れもせぬ大正十四年七月二十九日、私達は旅支度も軽やかに、南海の一孤島を目ざして、いとも不思議な鹿島立ちをやったのである。
諸戸はただ旅をすると云い残して、留守は書生と婆やに預け、私は神経衰弱を治す為に、友達の帰省に同行して、田舎へ行くとの理由で、会社を休み、家族の同意をも得た。
丁度七月の末で、暑中休暇に間もなかったので、家族も会社の人達も、別段私の申出を怪しみはしなかった。