定期船と云っても、現在では三千噸級の立派な船が通っているが、その時分のは、二三百噸のボロ汽船で旅客も少く、鳥羽を離れると、もう何だか異郷の感じで、非常に心細くなったものである。
そのボロ汽船に一日ゆられて、やっとK港に着くとK港そのものがうら淋しい漁師村に過ぎないのに、更らに断崖になった人も住まぬ海岸を、海上五里、言葉さえ通じ兼ねる漁師の小舟で、殆ど半日を費して、漸く岩屋島へ着くのである。
途中別段のこともなく、私達は七月三十一日の昼頃、中継ぎのK港に上陸した。
定期船と云っても、現在では三千噸級の立派な船が通っているが、その時分のは、二三百噸のボロ汽船で旅客も少く、鳥羽を離れると、もう何だか異郷の感じで、非常に心細くなったものである。
そのボロ汽船に一日ゆられて、やっとK港に着くとK港そのものがうら淋しい漁師村に過ぎないのに、更らに断崖になった人も住まぬ海岸を、海上五里、言葉さえ通じ兼ねる漁師の小舟で、殆ど半日を費して、漸く岩屋島へ着くのである。
途中別段のこともなく、私達は七月三十一日の昼頃、中継ぎのK港に上陸した。