あとで考えたことだけれど、この石地蔵は、昔は島の諸所に立っていたものらしく、現に北側の海岸などには、石地蔵の台座と覚しきものが残っていた程である。
それが、子供の悪戯などで、いつとなく姿を消して行き、最も不便な場所であるこの西側の海岸の分丈けが、幸運にも今だに取残されていたものに相違ない。
私の歩き廻った所では、島中に、神仏に縁のあるものと云っては、右の二つ丈けで、その外には、諸戸屋敷の広い庭に、何様の祠だか知らぬけれど、可成立派なお社が建ててあったのを覚えている位のものである。
あとで考えたことだけれど、この石地蔵は、昔は島の諸所に立っていたものらしく、現に北側の海岸などには、石地蔵の台座と覚しきものが残っていた程である。
それが、子供の悪戯などで、いつとなく姿を消して行き、最も不便な場所であるこの西側の海岸の分丈けが、幸運にも今だに取残されていたものに相違ない。
私の歩き廻った所では、島中に、神仏に縁のあるものと云っては、右の二つ丈けで、その外には、諸戸屋敷の広い庭に、何様の祠だか知らぬけれど、可成立派なお社が建ててあったのを覚えている位のものである。