それとも私は夢の中ででも見たのか知ら。
――と、かういふ時に誰でもがなるやうに私もちよつと感傷的になつたが、私はふと、それらのすべては私の疲勞のせゐではないか知らと思ひ出した。
何時だつたか物の本で、「視力が疲勞する時は物體が空間の中でと同じやうに時間の中でも二重に見えて來ることが屡〻ある」と云ふやうな意味のことを讀んだ時、前者の場合のやうなことは、――都會でよく疲れ切つて狹苦しい喫茶店などの、居心地のわるい椅子に腰を下ろしてゐる時など、そこの壁にかかつた額縁だの、花瓶だの、茶碗だのがぼんやり二重に見えてくるやうなことは自分の經驗で知つてゐたが、――今のやうな、かう云ふ、ふと思ひ出せさうでゐて妙に思ひ出せないやうな風景の感じは、この云ひ知れず切ないやうな感じは、或ひはその後者の場合のやうに、すべての事物が時間の中でぼんやり二重になつて感じられて來るのではないだらうか。