日あたりが惡いといつて醫者に反對せられても、彼女はどうしてもそのアトリエを離れたがらなかつたのだつた。
そのとき寢臺やら鏡臺やら衣裳箪笥までその中にもちこませて、隅におかせてゐたが、それらもいまだにアトリエに他の繪の道具なんぞと一しよくたにそのままになつてゐた。
節子が、當時フィアンセだつた弘に附添はれて、山のサナトリウムにいつてしまつてから、ときどきそのアトリエへ彼女の父親が默つてはひり込んで、それきりなかなか出て來ないやうなことがあつたが、そこで何をしてゐるのだかは誰にも分からないでゐた……