そのアトリエがそんな具合になつてゐることをただ弘から聞いてゐるだけで、まだその中にはついぞ一ぺんもはひつたことのない伸子には、いつもその家を訪れるたびに、そのアトリエが何か氣にかかつてならないのだつた。
弘にはそのアトリエが、さういふ荒れ果てた庭といふよりか花さける藪といつた方がいいやうなものに取りまかれてゐるために、かへつて大層好もしい場所になつてゐるかのやうな言ひぶりだつたが、さういふロマンチック趣味をあまり持ち合はせてゐない伸子には、それが弘には亡くなつた節子の思ひ出がそれによつて只そつくりそのままになつてゐるからだらう位にしか思へなかつた。
もつとさういふ弘の好みにも自分から近づいてゆき、それを解せなくてはと思ふのだけれど、その一方、彼女自身のはひつてゆく餘地のないやうにすらときどき思へるほど弘の心をいまだに占めてゐる亡き人のさういふ思ひ出に對して彼女自身でも氣まりの惡いやうな氣もちさへもちかねなかつた。