しまひにはがつかりして、もうその持主を訊かうともしないで、二人は住み心地のよささうなコッテエヂがあると、その前にいつまでも立ち止まつたまま、そこに自分たちが住まへたらどんなに樂しげに、幸福さうに見えるだらうと、そんな彼等自身の日常的な姿を空想したりしてゐた。
自分たちのものにはなりさうもない幸福そのもののやうな、他人のコッテエヂを前にしての、そんな空想はしかし二人を愉しませた。
さうやつて毎日搜してゐてもなかなか氣に入つた家の見つからないことが、そんな道草を食ふ愉しみのために、それほど苦にもならなかつた位。