「……それに君は、さういふ君自身の、何んていふかな、まあ、人生に對する覺悟のやうなものは僕に精しく話してくれたやうだが、――かうやつて君にはじめて會つてゐる僕は、君がどんな經歴の人だか、またいま何をしてゐる人だかも、君がそれに觸れようとしない以上は、何んにも知らないのだからなあ。
……君はまだそんなに若い癖に、まるで四十ぐらゐの女の人の考へさうな事ばかり考へてゐる、まるで人生のからくりが何もかも分かつてしまつたやうな氣がしてしまつてゐて、それで手も足も出なくなつて、これから何をしてもつまらなさうな、到底爲合せなんぞにはなれさうもないと思ひ込んでゐる、――さういふ君の氣持そのものは、僕にだつてよく分るがね、……それはしかし、恐らく、僕はさつきも言つたやうに君の經歴は全然知らないけれど、君はまだ實際の人生を少しも知らない――といふと云ひ過ぎるやうだが、それを云はば傍觀者として見て知つてゐるだけなんだらう。
さうしてそれが君にね、君のやうな傷つきやすい心をもつた者は傍觀者として一生を過すより外はないんだといふやうに思ひ込ませてゐるのさね。