實を云ふと、私はこんどの仕事には、さういふ手紙や日記を殘していつた昔の不幸な戀人たちの一人を取り上げて見たいのです。
さう、まあ王朝時代のものなら申分ありませんが、その頃の不幸な婦人たちの殘していつた多數の日記や家集のうちに、それを私がちよつと換骨奪胎しただけでそのまま私の好みの物語になつて呉れるやうなものがありはしないか知らん?
そんな日記や家集の中で、彼女たちの涙ぐましさの中からぢつと我々を見つめてゐるやうな、そしてそれをしばしば手にすることもあつた學者達はそんな目ざしには少しも氣づかなかつたので、反つて我々には、さういふ彼女たちの歎かひがそつくりそのまま、見知らぬ小禽の叫びにも似て、一節々々くつきりと認められると云つたやうなものが、かういふ私のために殘つてゐて呉れさうな氣もします。