――ところで、この「蜻蛉日記」に於いては、作者はその折々の苛ら苛らした氣もちをその折々の氣もちのままに構はずに誇張し、その前後の記事などに少し辻褄の合はない事があつても一向意に介さない、――言つて見れば、この日記の作者はすべてを論理的秩序(logical order)によつては書かずに、心理的秩序(psychological order)によつてのみ書いてゐる、――其處にやはりこの日記獨自のちやんとした統一がおのづからあつて、それをも生かさうとすると、もはや私の手を入れる餘地なぞは何處にもない位なのです。
いつも同じ弟のモオリス、同じ花、同じ小鳥、同じ神樣の事を、それをまたいつも同じやうに靜かな調子で語つて倦かうとはしなかつた、あのユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」にもその點似て、不幸な女の涙ぐましさ、執拗さ、根氣よさそのものの中に、寧ろこの日記を永遠的なものにさせてゐるものがあると云つていいのかも知れません。
――そんな事にどうして私ともあらうものが、今まで氣づかずにゐたのか、この頃になつてつくづくと、何んだか取り返しのつかない事をしたと思ふやうになりました。