クロオデルはこの戲曲の中に唯、聖女になればなるほどいよいよ人間的になつていつた、ヴィオレエヌといふカンパアニュの或村の若い娘の姿を描いてゐるだけなのです。
それではそんな表題は何を示してゐるかと云ふと、まあ、人間的なものの中への神的なものの闖入といつたやうなものが、この戲曲の主題になつてゐるからだらうと思へます。
――いま僕の書かうとしてゐる小さな仕事を、こんなところへ持ち出すのはすこし烏滸がましいやうだけれど、まあ、僕の奴もさういつた氣もちで、つまりあれらの愛すべき受胎告知圖の氣もちだけを汲むやうにして、一切マリヤもガブリエルも出さずに、ただその二つのもの――人間的なものと神的なものと――の美しい挨拶を、いま僕の住んでゐるやうな高原の淋しい村での春先きの頃の小さな出來事として、一つの牧歌に歌ひ上げたいまでなのです。