その少し先きのところで、街道が二つに分かれ、一つは北國街道となりそのまま林のなかへ、もう一つは、遠くの八ヶ岳の裾までひろがつてゐる佐久の平を見下ろしながら中山道となつて低くなつてゆく。
そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。
その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。
その少し先きのところで、街道が二つに分かれ、一つは北國街道となりそのまま林のなかへ、もう一つは、遠くの八ヶ岳の裾までひろがつてゐる佐久の平を見下ろしながら中山道となつて低くなつてゆく。
そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。
その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。