そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。
その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。
秋晴れの日などに、かすかに煙を立ててゐる火の山をぼんやり眺めながら、貧しい旅びとらしいものがそこに休んでゐる姿を今でもときどき見かけることもあるのだつた。
そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。
その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。
秋晴れの日などに、かすかに煙を立ててゐる火の山をぼんやり眺めながら、貧しい旅びとらしいものがそこに休んでゐる姿を今でもときどき見かけることもあるのだつた。