おえふたちは小さいときから、この生れた家を離れたきりでゐたのだつた。
――もともと、おえふの父の草平といふ人は、郡はおなじでも、ここから五里ほど離れた或村の赤屋敷といはれてゐる舊家の出で、牡丹屋とは血つづきだつたが、此の村の人ではなかつた。
が、明治のはじめ頃にその牡丹屋の主人がまだ稚い子を殘して亡くなると、後見に頼まれて、瓦解以來何度も倒れさうになつてゐたその世帶を引き受けることになつた。
おえふたちは小さいときから、この生れた家を離れたきりでゐたのだつた。
――もともと、おえふの父の草平といふ人は、郡はおなじでも、ここから五里ほど離れた或村の赤屋敷といはれてゐる舊家の出で、牡丹屋とは血つづきだつたが、此の村の人ではなかつた。
が、明治のはじめ頃にその牡丹屋の主人がまだ稚い子を殘して亡くなると、後見に頼まれて、瓦解以來何度も倒れさうになつてゐたその世帶を引き受けることになつた。