この頃になつて、誰が云ひだすともなく、古驛としておもかげをよく殘してゐるこの村の家竝み、ことに昔の本陣だつたままの家作りの牡丹屋や桝形の茶屋の古びた美しさや、その村はづれの分去れのあたりの山々の眺めなどをなつかしんで、東京などからわざわざ訪れてくる人が多くなり出した。
昔この宿に遊女がゐてその墓の一とむれがいまも殘つてゐるさうだが、といつて、その墓のありどころを尋ねてくる學者らしい外人などもゐた。
そんなときには、おえふが出て、故人になつた老人がよく客などに話してゐたのを聞き覺えてゐるまま、それはたぶんあそこのことでせうと、うちでは奉公人どもの墓といつてゐる、寺の墓地とは別になつて、もつと先きの森のなかにある一とむれの古い墓を教へるのだつた。