その頃から、こんどは村の古いホテルの裏の塀に沿つて、村で一番美しいと云はれるさるすべりの木がこれも眞白い花を咲かせる。
ホテルではその木を昔からホテルのだと云ひ、その木と道ひとつ隔てた便利屋では昔から自分の家のだと云ひ張つて、雙方讓り合はうとしないものだから、もう十年ばかりもホテルの塀の外に、便利屋の鼻つ先きに、どつちつかずの目立たない場所に、村でも一番美しいさるすべりの木だのに人々からもあまり氣づかれずに、そのためかへつて一層そのつつましい美しさを増させながら、いつも夏のはじめになると咲き續けてゐた……。
英吉利の片田舍にでもありさうな inn と云つた感じの、家具なども古くて底光りのしてゐたやうなその村の古いホテルが、とうとう廢業して人手に渡つたといふ話を聞いたのは去年の夏のはじめだつた。