その會堂の前のすこし雨に濡れた廣場を立ち去りがてにしながら、さつきの若い男が下手糞な英語で一所懸命に説明してゐた言葉のなかに the violin is broken といふ言葉があつたのをふと思ひ出してゐた。
あの妙に不吉なやうな音、人の魂を慰めようとするやうにヴァイオリンの長く引きのばされた音の中に何處からか不意に飛びこんできたあの奇妙な音、(まるで最初に彈いた「惡魔の顫音」のなかからでもちよいと彈き手の心の弛んだ隙間にまぎれ込んでしまつたやうな)そんな不意打ちにすつかり怯えながら、もうそのヴァイオリンを手にとることさへ出來なくなつてしまつてゐる少女、あの髮の黒い、目の大きな、印象の深い少女、――ああ、何もごまかすことの出來ない、それほど純な少女の心……。
私はもう少女らしい少女なんぞといふものは少くとも自分にとつては此の世に存在しないのかと考へがちであつたのに、今夜ひさしぶりに一人の少女が見事に少女そのものになつて見せてくれたことに、何よりも、彼女の音樂の妙技以上に感動しながら、すこし雨のふつてゐる中をそれさへかへつて快く感じながら、そしていつものパイプを口に啣へることさへ忘れながら、わが家の方へ歸つて行つた。