又、そのころ詩人の耽讀してゐたといふショオペンハウエルの哲學――生の意志を否定して、無に入らせようとする寂靜主義でもないのだ。
さうして私の前には、どこまで私達の日常の言葉でもつて魂のもつとも奧深いパトスを云へるか――いはば、「一つの花を云へるか、」といふことに苦心慘憺してゐる一人の地味な詩人の姿のみが在るやうになる。
が、いま考へてみても、私が人生への入り口で、このやうな詩集を知つて、それにあれほど夢中になつて自分を打ち込むことができたといふことは、隨分いいことだつたとおもふ。
又、そのころ詩人の耽讀してゐたといふショオペンハウエルの哲學――生の意志を否定して、無に入らせようとする寂靜主義でもないのだ。
さうして私の前には、どこまで私達の日常の言葉でもつて魂のもつとも奧深いパトスを云へるか――いはば、「一つの花を云へるか、」といふことに苦心慘憺してゐる一人の地味な詩人の姿のみが在るやうになる。
が、いま考へてみても、私が人生への入り口で、このやうな詩集を知つて、それにあれほど夢中になつて自分を打ち込むことができたといふことは、隨分いいことだつたとおもふ。