前者が心理の構圖(平面)しか持たぬのに反し、後者は心理の構成(立體)を持つてゐる。
この彼の構成主義的傾向は、「秋」に次ぐべき「お律と子等と」(大正九年)「山鴫」(大正十年)「トロツコ」(大正十一年)「庭」(大正十一年)それから後期の「一塊の土」(大正十三年)「玄鶴山房」(昭和二年)に次第に強く現はれて行つて、素材的には寧ろ次第に自然主義小説に接近して行きつつ、ますますそれら自然主義の小説から彼自身を切り離してゐる。
このやうに、彼はこの一つの作品によつて、彼個有の技巧の舊套を脱したばかりではなく、自然主義的リアリズムに近づきながら自然主義のマンネリズムを打破して、其處に新機軸を出し得てゐると言つていい。